絶対に勝てないもの
昨日、1年ぶりに行った検査の結果を聞きにひとりで病院へ行って来ました。予約なしの受診だったので、相当な混雑を予測して本を2冊持って出かけたのだが、予想通りの満員御礼で「2時間は覚悟せないかんな・・・」と思いながら、本を出して10P程読んだところで、斜め前に座っていた元気なおじいさん同士の会話が耳に入って来た。この2人の老人は何やら、たまたま隣り合わせに座った初対面の様子で、先ず「大変失礼な事をお伺いしますが何年生まれですか?」「私は大正13年です」ん・・。大正13年と云うことは、御年85歳だ。肌艶からみてもとてもそんなお年には見えない。「でしたら、戦地には?」「ああ、行きましたよ」「内地ですか?外地ですか?」「私はですね、北朝鮮の平壌あたりをウロウロとしていましたよ、ソ連が侵攻してきてからですね」と、笑いながら云う。そこから意気投合したのか。戦争談義に花が咲き出し、ガダルカナル島やらB29にグラマン戦闘機や中島飛行隊。鉄砲の弾にあたるよりも、喉の渇きに苦労し我慢出来ずに雨水を飲んで、チフスにかかり多くの戦友を亡くしたなどと、聞き覚えのある言葉の応酬に、オレはずっと聞きいっていた。
ごく普通のおじいちゃんが現代文明と融合し、ゆっくり老後を満喫していそうな風体ではあっても、本物同士の戦争体験談は、ただの雑談であれども書物のそれを十分に超越している。涙ぐみながらでも無く、恨み節でもなく自慢でも無い。病院の待ち合わせ室での退屈しのぎでの、雑談である。「終戦の8月15日の半年前に伊豆に移動になり、グラマン戦闘機が水面ギリギリのところからやって来て、機銃弾を連射された時にはさすがに驚いて私はなんとか助かったけれどもその時が一番多くの戦友が目の前でやられちゃいましたですよ」「だから私はかかさず靖国神社に参拝して亡くなった戦友達に手を合わせて居ますよ」
そんな話の途中に、お一人の方が診察室に呼ばれ話は終わった。その後、何事も無かったかの様に、気の強そうなこれまたお元気な奥さんと合流した時は、普通のおじいちゃんに戻って居た。
こんな体験をサラっと雑談の中で懐かしそうに話せるのは、命の危険に晒され続け極限の体験を達観しているからこそなんだろう。オレ如きの武勇伝など、この人達にとっては幼稚園のかけっこで転んで膝を擦り剥いた程度のものでしかない事を痛感すると共に恥ずかしさすら覚えた。それが、どこにでもある、病院の待合室での風景のひとコマだった。
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