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2009年5月

2009年5月24日 (日)

大関日馬富士の初優勝に思う事

御無沙汰しております。5月病と闘いながら、忙しさにかまけて久し振りの更新です。

Harumahuji

大関昇格から3場所目で初優勝を決めた日馬富士。優勝を賭けて千秋楽に三つ巴の戦いに、オレの様なあまり相撲に執着が無い者でも、興味をそそられる大舞台。やはりこう云う状況になれば、誰のファンであるとか無いとかは別として。日馬富士が優勝することがスポーツ観戦をしている者に取っては一番感動的であろう。

一時、八百長問題がリアルに報道されて。それが裁判にまで発展する様な事をした奴等はしっかり罰を受けて裁判所からの判決に沿って慰謝料を払って償え。相撲に熱狂し感動する人達は、その裏側を知りたないなんて事は爪の先程も思っては居ない。唯、好きなスポーツを観て「ハラハラワクワク」しながら、息を呑んでTVに噛り付き。その結果に歓喜する。その瞬間だけであっても、日常のストレスから解消される。ありきたりな言葉で表現するならば、夢を与えてもらっているのだ。そんな一過性の小さな瞬間をも、下らぬ現実を声高に叫んで誰が得をするのか?結果、安物のフリーライターと週刊誌の売上げを伸ばす、金の亡者達だけの利益追求の為だけである。

相撲に限らず、どんな事でもいい。八百長でもインチキでも。そんな事は関係無い。皆が笑い、泣き感動をする。そんな単純な事が時折ある事に人は生きていられるのだろう。

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2009年5月15日 (金)

自己改革

ここ3~4年かな?過去からの脱却を志している。それは、少年期から人生の大半を「暴力」と「捨身」から培われた反社会的地位の力を背景に生きて来た垢をそぎ落とす様に心掛けるべく、精進しているのだが・・・。もっと安易に捉えていたが、なかなかこれが難しいのである。

上京して来た、当初はハングリー精神だけで生き残りに邁進して来た為。「捨身」でことにあたり。不条理な事の連続に、怒りを爆発させなんとか乗り切って来たが。理不尽極まり無いことに関しても暴言を吐き。開き直られると、怒りに打ち震えて感情の赴くまま。相手のところへ1人で乗り込み大立ち回りを演じて、初めてこちらの正当性を認めさせて来た。

そんな事の繰り返しの中で。一応、生活に安定が見え始めた頃から、法律論で仕事をする様になって来た時、おのずと暴力的な言動を抑えなければ生きて行けなくなり、自己改革に挑戦しているのだが・・・。矛盾や理不尽なことに正攻法で対応すると、相手は益々調子に乗り挑発までして来る始末。それを腹の中で笑える様になれば一人前なのでしょうが。まだまだ笑えないんですよねこれが。「コラコラ、誰にモノ云うてんるんじゃ?」が、気持ちの中で暴れ回り、それを抑えることで今は身体中ストレスの塊ですよ。未だ嫌味を云われるくらいならともかく、汚い裏切り方をされるは、喧嘩売られた日にゃ1日中。不愉快な思いで安定剤の量は増えるは、酒の量は倍増。血圧と血糖値が上がる。

サラリーマンの方って、こんな事に耐え忍び生きているかと思うと。本当に尊敬します。オレが自己改革に成功する日まで生きていられるのかな?

あ~ぁ、しんど。出家でもしよかな。

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2009年5月12日 (火)

小室哲哉氏がもう復帰するって

丁半博打の様な実刑か執行猶予か?刑務所の塀の上を目隠しで歩いて居た様な裁判で、裁判官の当たりがよかったのか、弁護士がよかったのか知らないがそんなギリギリの裁判で何とか、執行猶予判決を貰った小室哲哉氏。執行猶予判決なんて本人にとっては「無罪」みたいなものだが、社会的には有罪判決であり。犯行事態も「5億円の巨額詐欺事件」そこには被害者も存在する立派な「犯罪」である。検察の求刑5年も裁判官に「猶予か実刑かは任せます」と云う求刑だったんでしょう。もしも求刑が6年だったら、おそらく執行猶予は無かったはず。

猶予か実刑かの結論にケチを付ける気は更々無いが、世論はこの事件が猶予か実刑かの争点にばかり目が向き過ぎて、論点がすり替わっているんじゃないか?執行猶予判決が出たからって、無罪放免になった様にもう復帰するって・・・。それは、チョット甘いんじゃないのか?せめて、猶予期間中は裏方に徹して表舞台に出て来るのは時期尚早でしょ。SMAPの草彅クンが訳の分からん罪で逮捕されて、未だに謹慎中だし。同じ、SMAPの稲垣吾郎も何年か前に、公務執行妨害かなんかで捕まった時でもかなりの間謹慎してたでしょ。こんな程度の事件とは全く性質が違うし、今回の事件の被害者は未だに小室哲哉氏を許してはいない。

な~んかみんなチョット甘やかしすぎじゃ無いのか?

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2009年5月11日 (月)

小室哲哉に執行猶予判決

今日、大阪地裁で5億円の詐欺事件で逮捕起訴されていた、小室哲哉氏に執行猶予判決が出た。オレの予想は見事にはずれました。正直、今回の予想には自信があったので「執行猶予判決」と聞いた時、「え~~~なんじゃい・・」と、少し悔しい気持ちになった。この感情は「予想が外れた」と云うだけの事で、そこにはなんの哲学も理念も無い。唯の野次馬根性だけである。もしもオレが小室哲哉氏と仲のいい友人だったとすれば、万歳三唱でもしているかも知れないし。未だ和解の出来て居ない被害者側の近親者だったとすれば「なんじゃ!こんな判決!」となるんだろう。このブログで何度となくオレは「他人事」と云う表現を使うが真さにその通りである。小室哲哉氏が刑務所へ収監されようが、執行猶予判決を貰おうがオレの生活には何等不具合は無い。

敢えてひとつだけ云わせてもらうならば、ホリエモンが実刑で小室哲哉が執行猶予と云うところに何か違和感は感じる。刑務所と娑婆では天と地ほどの違いがある。互いに時代の寵児と崇められ栄華を極めた両者の命運はどう云う物指しで測られているのだろうか?

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2009年5月10日 (日)

余命一ヶ月の花嫁

映画「余命一ヶ月の花嫁」の上映に向けてTVスポットで番宣を観た時に、正直「ありきたりなお涙頂戴か」と、気にも止めていなかった。しかし、今日朝から「サンデージャポン」で、番宣を兼ねてこの映画のモデルになった本人や家族のドキュメントが編集されているのを観て色々と考えさせられた。

人はいずれ死ぬ。普遍的万物の法則である「死にゆく者」「残された者」の関係はそれぞれ、その時の環境と状況で大きく違いはあるものの。この映画の様に余りにも若すぎ、眼前の幸せと現状の不幸。女性に取って一度は誰もが夢見るウエディングドレスを纏う最愛の人との結婚。一方は約束された「死」

「残される者」の辛さは「告知」を避けた。当然であろう。生きたいと願う者に告知する意味はどこにも無い。それが「残される者」の使命であろう。「告知」に関しては、賛否両論様々な意見があるだろう。しかしそれは一つ間違えればとんでもない事になる。オレの様な人間は絶対に告知して欲しいのだが、根本的にこの物語の方達とは品質が違う。

何も無い時に、「もしも、余命宣告があった場合どっちがいい?」と、元気なうちにそれとなく聞いて置くことも大事な事ですよ。

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2009年5月 4日 (月)

僕の好きな先生

急逝した。忌野清志朗さんを悼むニュースが大賑わいの中。彼がまだ、フォークを唄って居る頃に発表した「僕の好きな先生」のモデルになった、恩師が杖をつきながら弔問に来ている姿に、哀愁を感じる。思えばオレが小学3~4年の頃、体育が得意な担任の大好きな先生が居た。孤児院から学校へ通って来ると云う、ひねくれ者の転校生がその先生に食ってかかった時もオレはそいつに飛びかかって、殴り合いを演じたこともあった程、好きな先生だった。当然、先生もオレには特別な感情を持ってくれて居るに違い無いと、疑わなかった。ある日、なんて云われたかはハッキリ覚えていないが。間違い無くオレの事に全く関心など無いと、子供心に確信するほどの言葉がオレの胸に突き刺さった。その時オレは「イヤイヤ、先生はそんな意味で云うてるんちゃうヨ。唯、怒られただけやん」と自分に言い聞かせた。それから、直ぐに5年生になり組変えが有り担任も変わり、その先生との接点もほとんど無くなった。たまに廊下ですれ違ってもオレの求めるリアクションは無かった。

そして、小学校を卒業してから同級生達何人かでその先生の自宅に遊びに行く、イベントの様なものを主催してオレも誘われたので、喜んで出かけたのだが。その時、ようやく互いの思い入れの相違を確信した。久し振りに会うオレを特別扱いしてくれると信じて止まなかった思いは無残にも砕け散った。特別扱いどころか、ほとんど話もしてくれなかった。

その後、中学生になった時にも同じ様な事があった。それは同窓会でその先生に会った時に「先生オレの事覚えてる?」と、聞かなければならない程のものだった。小学5年の時に児童会会長立候補を同級生達にケツを掻かれて立会演説会を経てブッチギリのトップ当選した時にも、教師達のオレに対する観る目はあからさまだった。まぁ、それは終始バカ話で当選したのだから仕方無いにせよ。今、思うと子供の頃から教師に対しても可愛げの無いひねくれ者だったのかも知れない。

オレ達の様な不良にも、1人ぐらいは「あの先生どうしてはるのかな?」と、たまに思い出す恩師が居てしかるべしだろうが、オレにはそんな人はどこにも居ない。子供の頃から、大人の目には「ひねくれた可愛げの無い子供」と映っていたのだろう。本人はそんな意識は全く無いのに・・・。しかし、現実はきっとそうだったのであろう。

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2009年5月 3日 (日)

夜空の誓い 忌野清志朗

RCサクセションの忌野清志朗さんが昨日亡くなったそうな。オレにとっては特別思い入れのあるアーティストではなかったが、デビュー曲かどうかはハッキリしないが♪どういたんだいHEYHEYBEBY!バッテッリーはビンビンだぜ!♪なんと云うタイトルかはチョット思いだせないが、この曲には当時20前後のオレには「なんと過激な曲」と云う印象を鮮烈に感じた記憶がある。日本ロックの在り方を変えた、どこかでブルース調にも感じる新しい分野を開拓した先駆者だった人だったのかなってオレ個人はそんな感覚のアーティストだった様に思う。ブルースは好きだったが、忌野清志朗さん達と同じ頃のデビューだったかな?「憂歌団」がブルースの代表格だったので、どちらかと云うと憂歌団の木村さんの方がオレには性が合って居て、「ライブにも行ったなぁ」って、思いだす。

それよりも、忌野清志朗さんが。当時24~5歳だった坂本冬美ちゃんのこぶしに惚れたと云って、Y・M・Oの細野晴臣さんと3人で学生服とセーラー服に身を包み「夜空の誓い」と云う曲を出した。もう20年近く前の話だが、当時坂本冬美ちゃんの隠れファンだったオレが。天才的アーティストの忌野清志朗さんと細野晴臣さんが演歌歌手の坂本冬美ちゃんを認めたことの喜びとこの曲は然程、売れなかった様だが、オレは未だに大好きな1曲である。それから忌野清志朗と云うアーティストに関心を持ち始め。どれだけ凄い才能があるのか、興味を持って観ていたので。今回の訃報に際しては少しショックだった。享年58歳、若いのかそんなものなのか、それぞれの価値観はあるだろうが。いずれにせよ心からご冥福を祈りたい。

「夜空の誓い」YouTubeやニコニコ動画でUPされているので、よかったら見て下さい。

合掌

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2009年5月 2日 (土)

豚インフルエンザの政府の対応と国民意識

世界中で猛威を奮う、豚インフルエンザに対して日本政府は、過剰過ぎる程の対応を取っている。9・11テロの時よりも遥かに頑張った迅速な対応をしている事は、昨今の危機管理意識の低さから思うと評価すべきだろう。しかし、色の無いウイルスだけに日本上陸も時間の問題だろうが。それに引き換え国民の意識の低さと云うかなんと云うか。発祥地のメキシコ行きはさすがに避けてはいるが、このGWにどんどん海外へと出国している。せっかく日本にはなんとか上陸していなのに、何を危ないところへワザワザ行く事があるのか訳が分からん。土産代わりにこのウイルスを持って帰って来やがったら承知せんぞ。

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